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アンズスズメ ブログ

最初は音楽制作中心になると思います。

ジャックスって、リアルタイムでどの程度認知されていたんだろうか?

 私が世を忍ぶ仮の子供時代だった1996年、FM横浜では「jポップスイエスタデー」という、昔の邦楽ばかりが流れている、12時台の時間つぶし用と思われるプログラムがあった。

 歌番組に呼ばれなさそうな曲も結構かかっていてインターネットの普及していない当時、自分にとっては歴史を勉強をしているような感覚で聴いていた。その後番組「FM横浜リーズ」でも12時台になると同じようなことをやっていて、その時は家にいたが初めてジャックスの「時計を止めて」という曲を聴いた時、曲の普遍的なよさとそれをぶち壊さんばかりのあまりに不気味な演奏とのギャップに衝撃を受けたことを覚えている。ちなみに次の曲はクリエイションのロンリーハートという曲で、ランチタイムのBGMとしてはむしろ胃もたれするような濃さだったw

 この時すでに、私は雑誌でジャックスが日本のロックバンドの祖であることは知っていた。それで実際に聴いてみて確かにインディーズ魂に訴えるものがあるので、私は気になって西新宿のレコード屋に『ジャックスの世界』のLPをみにいこうとおもった。それで見たら、販売価格が20,000円だった。

 どっちにしろ家のレコードプレーヤーはお陀仏になっていたのでLPの入手はあきらめた。

 

 面白いなと思うのは、早川義夫氏は他人の曲をあまり聞かずに内から湧き上がる物で曲を作ろうとしていたことだ。編曲を切り離せば他のジャンルに流用しやすいわけで

だから売れなかったというわりに解散した直後から、結構カバーされてたのだろう。

 私も自分で曲を作っていると感じるのだけれど。日本でこういうことをやるときやはりどこかで洋楽のことを意識してしまう。ぜひこのような境地に達したいなあと思っている。

 

 

『空気を読め』何とか形になる

 さて、去年の年末までは、他のパートはできていたのに、5曲分のギターだけはできていない状態であったが、年始に何とか懸案だったギターを入れた。そして現在、それをミックスしたものができた…といえる。(それにしてもひどいマスタリングだが…。これは後日様信濃に差し替える)

 

いろは坂 / アンズスズメ | BIG UP! FREE

怪奇老人 / アンズスズメ | BIG UP! FREE

私はボーカロイド / アンズスズメ | BIG UP! FREE

同床異夢 / アンズスズメ | BIG UP! FREE

www.muzie.ne.jp

『空気を読め』プロトバージョンを作る

 私は2015年の秋から『空気を読め』というCD1枚分の内容のものを制作していて、
年内に完成版をうpしようとしたが、このブログの去年の記事にもあるのだけれど、tascam424の機械の故障等があったために不可能になった。しかし、その後最終的には自力で修理をして制作を続行できたので、ギターを入れるところ以外は12月時点でミックスダウンできるところまで漕ぎ着けることができた。ほとんどこれは活動記録的な理由でうpしているのだけれど、前の記事にも書いたようにいちいち完成版でもないものを1曲ずつうpするのもどうかと思うので、一括してあげることにした。

 

 

 

 

creofuga.net

ほんとうに困ったものだ。うpしたものの整理はめんどくさい

 今年も年末だ。全く、片づけはめんどくさい。

 

 動画でも音楽でも何でもいいが、私のようにネット上にものをうpするようなことをしていると、制作の途中で知らないうちにパソコンのなかは、試験的に作ったようなもの、圧縮する前のWavや、あるいは単なる失敗作など、多量の無駄なデータだらけになってしまう。

それだけならまだしも、音楽制作でmuzieクレオフーガなどにうpする場合、ひとつのページ(アドレスか)で自分の歌もの、その曲のボカロ版などをうpしていたせいで自分のページはとッ散らかった内容になってしまった・・・。

 特にクレオフーガはひどい。デモバージョンやら、昔の曲の転載やら、コンペ用のものやボカロまで、自分自身が見ていていらいらする。ここらで一度整理したいなあと最近は思っているけれど、一度消しちゃうと、他のユーザーのいいねが消えてしまうというジレンマもあり、そのことを気にしてしまうと、簡単に消せなくなる・・・。

 これに比べてmuzieは一度あげた曲の修正版を、再生回数を引き継ぎながらうpできるので、最初にデモ版をうpしておいて、完成してから差し替えることも可能だ。これは自分のページを散らかさないことを考えた場合、とても便利だ。しかし他のサイトにこの機能はない。あればいいのに。そうすれば無駄に「アンズスズメさんが××(修正版)をうpしました」というメールを自動送信させずに済む。まあクレオフーガの場合に問題になるのはコンペの応募でだろうが、それならコンペではダメとすればいいと思うのだが。

 

ああ片づけるのは面倒だ。

この頃何か楽しくない。

 自分のことを書くのは恥ずかしい。かといって、自分の作ったものを人に見てもらうには、自分のことを書かないわけにはいかない。私の場合は、曲なりなんなりを作ってしまえば、自分の思いのたけをブログや何かに吐き出そうという気持ちがなくなってしまう。そういう性分だから、そもそもあまりSNSには向いていないなーとこの頃は思っている。

 

 本当に苦しい気持ちや心の闇のようなものは、中途半端な覚悟で不特定多数が見る場所でははけないと思っている。ネット上で変な因縁をつけられたくないし、書いたところで、しばらくして自分が読むと、自己嫌悪になってしまう。かといって、毎日現実感のないことばかり書いていると、読み手もつまらないだろう。

 

 自分は何でこんなことをやっているんだろう。私は世を忍ぶ仮の20代を棒に振ってしまった。2011年に『我ヒキコモリシ年の夕暮れ』というアルバムを作ったまではよかったが、その後、迷いが生じるようになった。2014年に初音ミクで『同床異夢』という曲を作って、それがゲーム音楽に採用されたのはよかったが、その後、本来自分は何がしたいのかがわからなくなったのであった。ああ、そうそうこのころ大変な不眠になっていたこともあって、日常生活すらあヤシいところがあった。

 そもそもは、ボーカロイドをやるったのは、自分の曲を聴いてもらう機会を増やすことが目的であったはずなのに、自分のリアルの世界で会う人にはボカロPのような認知になりはじめている。それが悪いわけではないけれど、最初からDTMをやってきた人たちにはとてもかなわないし・・・。

 

というただのぐちであった。

唐突に自作曲紹介 「dqn」

  思えば1997年ごろだろうか。ある日横浜の関内や伊勢佐木町を歩いていた時、市営地下鉄の改札口の地べたで、唾を吐いて煙草を吹かしながら携帯電話をいじくり続ける茶髪の若者がいた。そしてその若者に、私は、理由は分からないけれど何やら強烈な不快感を持ってしまった。自分も似たような年齢なのにね。

  私が世を忍ぶ仮の学生だった頃は、インターネットがあったとしても現在のようにいつでもどこでも簡単にできるという時代ではなく、いわゆる森善朗元総理による「イット革命」以前あった。私がインターネットを始めるようになったのは、ちょうどその前後ぐらいからだったが、その頃最初に知った衝撃的な言葉の1つがDQNという言葉だった。 「そうだそうだ、これだよこれ」と私は思った。そうしてできたのがDQNという曲だった。 でも、自分としてはDQNをただDQNとして描くのはどうかと思った。90年代の頃にはあまり聞かなかったけれども、近年は資本主義の中での虐待や貧困の再生産について聞くようになった。

 

www.muzie.ne.jp

経済の格差がなくなればみんながうまくゆくなどと考えているのは、はっきり言ってバカな左翼だけである。経済の格差がなくなっても、人の持って生まれた資質や能力の格差、それに伴って生ずる機会の格差はなくならないのですよ。 話がそれてしまったが、それで、ならば「DQNの再生産」wというのもあるうるよなあ、と思ったので ~切ない切ないDQN達 大人たちに産み落とされ  切ない切ないDQN達 大人たちに見放される~ という一節を入れてみたのだった。それで、人が生まれて背負う悲しみというか、DQNがDQNという枠を超えることの難しさみたいなものを表してみたかった。 

県道探訪 1 町田厚木線

 神奈川県の県道に町田厚木線というものがある。一応は主要地方道という、道理地図で緑色に色分けされている道路のうちの一つだ。特徴としては道路そのものに特に走りにくい個所があるわけではなく、とてつもなくひどい坂道があるというわけではない。全区間まではさすがに知らないが、おそらくほぼ2車線で自転車が車と並走できるスペースはあるだろうと思われる。

 

 

  或る日私は相模原に用があってこの道路を知っているのだが、小田急線の相模大野駅周辺は大変なことになっていた。ただの平日だというのに、この道路の歩道に人がアリのようにあふれかえっている。私が某大佐なら見ろ、人がごみのようだ!と思うだろう。歩道の面積に対して人が多すぎてスペースが足らないのだ。この風景は何とも奇妙だ。ジャニオタやフーリガンがいないのだから。相模大野は新杉田あたりに雰囲気が似ているが、新杉田周辺はもっと道が広いからこうはならない。やはりなんだかんだ相模原は人口が多いということなのだろう。

 

 相模原市平成の大合併ブームに便乗し、旧津久井郡四町と無理やり合併した結果、2010年に、何とか人口が70万の大台に乗ったので、なんちゃって政令指定都市になった。こうやって書くと熱心な相模原市民に殺されそうだが、旧相模原市の範囲でも人口は60万いた。これはさいたま市になる直前の浦和や大宮より多い。しかし公フォローしてみようとしたものの、却って合併の無理やりさを感じてしまった。